「メロンと生ハム」10年後


空谷跫音 1(くうこく きょうおん)

『人気のない谷間で 突然人の足音が聞こえてくること。
予期しない人の訪れや支持者の出現、思いがけない喜びを
得ることのたとえとして言う。』





青空に紫煙が掻き消えていくのをぼんやりと眺めながら 三蔵はふと山門から

入山してくる人影に気が付いた。

久しぶりに見る懐かしいその姿に 三蔵は思わず目を奪われる。

西への旅から帰って随分日が経っているというのに 

今まで思い出さなかったのが不思議に思う人物だった。



唯一無二の師匠である光明三蔵の生前に彼の嗜好品であった煙草を 

買いに行かされてその店の住人だと知った同い年の女の子。

自覚はなかったけれど 彼女に抱いていた想いを

未だに他の誰にも感じた事はない。

あれから三蔵は すぐに師匠を亡くし片身の品を探すために 

寺を下山してそのまま会うことはなかった。

4年後に 帰山はしたものの行方不明の経文の情報を入手するために、

三仏神の使役としての斜陽殿から与えられる仕事と 

最高僧としての寺の雑役で瞬く間に日々は過ぎて行った。

今も忙しい身ではあるが 桃源郷が元に戻った今は

以前ほど使役の仕事がなくなり、寺の雑役も西への旅で不在が長い間に 

三蔵抜きで進められるようになっており

こうして空を眺めるだけの時間を 持てるようになっている。




人の気配にこちらを見たが 

三蔵に気がついて参道を脇にそれて近づいてきた。

あれから10年という月日が経っている。

幼かった面立ちは 綺麗な女性の顔に変化してはいるが、

三蔵を見て浮かべた微笑に可愛かった笑顔の名残が見えて三蔵を安心させた。

1間ほどの所まで近寄って来ると 荷物を胸に抱えたまま深々と頭を下げた。

「三蔵様 お久しゅうございます。

覚えて頂いているでしょうか・・・でございます。

本日はご注文の品 お届けに参りました。」

声も記憶にあった少女の硬質な高音ではなく 

柔らかで耳障りの良い大人の物へと変化して、

もっと聴きたいほどに三蔵の好みになっていた。




「帰山してから随分になるが ついぞ見かけなかったな。」

覚えていたとか思い出したとか 三蔵は口にしなかった。

「はい 最近は小坊主さんたちが お使いに出向いて下さるので、

私がこうしてお寺に伺うことが少なくなりました。

三蔵様がお留守の時には 悟空さんがよく訪ねてくださるので、

荷物をついでに持ち帰って下さいますし 今日は急なご注文でしたので・・・、

それでは 荷物をお届けせねばならないので失礼致します。」

はもう一度頭を下げると 三蔵から離れて僧房へと道をたどった。




後姿にもいい女だと見惚れる自分に気がついて 三蔵は苦笑する。

あれほどのいい女に成長したが 恋人の1人もいないはずはなく

結婚していたとしても可笑しくはない年齢になっている今、

悟浄あたりならば すぐにでも口説こうとするのだろうが

さすがにそれを境内でする事はかなわなくて 今はここまでだと

自分を抑えた三蔵だった。

会話の中に悟空の名前が出たことで 

誰でも知っているが自分だけが知らない情報を

面白くはないが猿にでも聞けばいいと思ったことも確かなことで、

自分にわたさなかったとこを見ると 

あの荷物は仏具か香かロウソクのたぐいだろうという事も

想像が出来るので、焦る必要はないと三蔵なりに判断したのだった。




その夜。

三蔵はさっそく悟空に尋ねた。

「寺に来る煙草屋ののことで知っている事を話せ。」

不機嫌そうにそんな事を言われて 良い方には受け取れない悟空が

いぶかしげな顔を向けた。

「どうしたんだよ三蔵、姉ちゃんがどうかしたのか?

優しくていっつも笑ってて いい姉ちゃんだぞ。

俺が遊びに行っても 嫌な顔1つしねぇで迎えてくれるしさ。

俺、三蔵が仕事でいない夜は姉ちゃんの所に泊まりに行ってるんだ。

姉ちゃん肉をいっぱい食べさせてくれるもん。」

食べ物の話しになって思い出したのか 

うれしそうな笑顔を浮かべて話す悟空を見て

三蔵はその内容に頭を抱えたい思いだった。

「泊まりに行ってるだとぉ。

何時からだ? 何で泊まる必要がある?」

三蔵のあまりな剣幕に 悟空が言葉を挟む隙間もない。



「三蔵 知らなかったのか?

姉ちゃんは この金山寺の坊主たちにすげぇ人気があるんだぞ。

綺麗だし 可愛いし 結婚してねぇんだって、それに恋人もいないって

このあいだ 煙草を買いに来た近所のおばちゃんに見合いを勧められて

断るときにそういってたぜ。

『恋人がいないのに 見合いを断るなんて変な子ねぇ。』って

おばちゃんが言ってたもんな。

『誰か好きな人でもいるの?』って聞かれて 

姉ちゃん『いいえ。』って言ってたけど、

後でため息ついてたんだ・・・・その顔がすげぇ悲しそうでさ。」

悟空の話してくれた内容に知りたかった情報が ほとんど入っていたので、

三蔵はあえて話す悟空を止めようとはしなかった。

面白くない情報も聞かされたが 

自分の行動を決断させるためには必要な情報でもあった。




自分の就いている地位と職業を考慮に入れれば、

が三蔵を受け入れてくれるかどうかは三蔵では判断できない。

だが このまま黙っていれば 

間違いなく自分以外の誰かの手に落ちる事は確実なのは分かっている。

「悟空、お前泊まりに行っていると言ったが あそこの家には

のほかに 婆さんとの両親がいただろう。」

娘や孫を心配する家族がいれば 

このままでいなければならない覚悟をして三蔵は尋ねた。

「うん、いたって・・・でも 俺達が吠登城への旅に出ている間に

3人とも病気や妖怪に襲われて死んじゃったって 姉ちゃん言ってたな。

姉ちゃんは 遠くに行ってて助かったんだけど 

みんなが死んじゃったんであの煙草屋を

継ぐために帰ってきたって・・・・それがどうしたんだ?」

悟空の問いに沈黙で返して 三蔵は自分の思考へと埋没して行った。

三蔵の返答がない事を気にも留めない悟空は 

自分の好きなことへと戻っていった。






---------------------------------------------